2016年2月11日木曜日

めぐり逢えたら

映画館に行く時間がありません。
JR移動中に観た古い映画です。

「めぐり逢えたら」
1993年のトム・ハンクスとメグ・ライアンの2人のラブ・ストーリーです。

ラブ・ストーリーは、私の苦手なジャンルです。
だって、誰もライト・サーベルを振り回さないし、空を飛ばないし。



病気で妻を亡くしたばかりのサムは、シアトルに引っ越ししたが、落ち込んだまま。
それを心配した8歳の一人息子のジョナは、ラジオの相談番組で「パパに新しい奥さんを」と相談する。その番組で妻への心情を正直に伝えたサムに共感したたくさんの女性から手紙が殺到した。
ボルチモアに住む新聞記者のアニーも、彼に興味を持った女性の一人だった。
アニーは婚約者ウォルターがいるが、ウォルターが自分の運命の人かどうか分からないでいた。
偶然聴いたラジオで、妻への愛を語るサムに、アニーは涙した。
そして見知らぬラジオの彼に心が惹かれていくのだった。



この作品は、1957年制作のケーリー・グラントとデボラ・カーの名作「めぐり逢い」がモチーフになっている映画です。


映画「めぐり逢い」の紹介が、この「めぐり逢えたら」の劇中でなされます。
ですから、どうしても「めぐり逢い」を観ていなければわからないということでもありません。でも、エンパイア・ステート・ビルやタクシーなどのオマージュが、ちりばめられていますし、作品中を貫く「運命の出会い」を違和感なく受けいれるには、「めぐり逢い」から観ていた方が良いのかも知れません。

さて、この2つの映画の主要テーマである「運命の出会い」は、松田聖子に言わせれば「ビビビ」でしょうか。
私はこの「めぐり逢い」をかなり昔に観たのですが、やはり「運命の出会い」には違和感があります。

アニーはこのラジオ放送を聴いて、サムに恋をします。
婚約者がいるのに、ラジオで一回聴いたサムに心を奪われます。
目の前のウォルターではなく、ラジオのサムが「運命の出会い」ではないのかと迷います。そして、何も手につかなくなり、サムに会いに行くのでした。

どうなんでしょう。
亡くなった妻への想いを語る男性に好意を持つことは理解します。
だからと言って、運命の出会いになるのですか。
どうしても愛が唐突に見えます。

えっ、愛って唐突なんですか?
だから、私はラブ・ストーリーが昔から苦手なんです。
まだ愛を語るには早いのかも知れませんね。

じゃあ、この映画は全然楽しめなかったかって?
そんなことはありません。

何と言っても、息子ジョナ役のロス・マリンジャーがとても可愛いし、アニー役のメグ・ライアンは当然可愛いし、観ていてニコニコしてしまいます。
トム・ハンクスですか?良いんじゃないですか。

話を戻して、この物語「めぐり逢えたら」はラブ・ストーリーなのですが、なかなか二人は出会いません。
「実際に二人が会うのは・・・(自主規制)」なのですが、ここは、とても気が利いていると思います。
この部分を書きたいのだけれど、ネタバレになりそうです。
古い映画はネタバレして書いても良さそうなんだけど、この私ブログを読んで映画をレンタルするという人もいるらしいので、一応規制しておきます。

現実感のないラブ・ストーリーは、私は馴染めないと思っていました。
というより、映画に求めているものが違っていたのでしょう。
映画では、ラブ・ストーリーも冒険活劇も答えがわかっているのに、観客は途中の荒唐無稽のストーリーに付き合うのだから同じなのかもしれません。

ラブ・ストーリーだけ「現実感がない」と毛嫌いしないで、もう少し観ましょうか。

ちなみに、トム・ハンクスとメグ・ライアンはこの映画の監督ノーラ・エフロンと再びチームを組み、この後1998年に名作「ユー・ガット・メール」を撮るのですね。
この映画については、いずれ書きます。