2015年5月10日日曜日

バードマン (劣筆がもたらす予期せぬネタバレ)

話題の「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」を観ました。

アカデミー賞の作品賞をはじめとして多数の賞を受けた映画です。



映画シリーズ終了から20年、今も世界中で愛されているスーパーヒーロー”バードマン”。
だが、バードマン役でスターになったリーガンは、その後のヒット作にも恵まれず、私生活でも結婚に失敗し、失意の日々を送っていた。

再起を決意したリーガンは、レイモンド・カーヴァーの「愛について語るときに我々の語ること」を自ら脚色し、演出と主演も兼ねてブロードウェイの舞台に立とうとしていた。

ところが代役として現れた実力派俳優のマイクに脅かされ、アシスタントに付けた娘のサムとは溝が深まるばかり。
しかも決別したはずの”バードマン”が現れ、彼を責め立てる。
果たしてリーガンは、再び成功を手にし、家族との絆を取り戻すことができるのか?
(オフィシャルHPより)


この映画、アカデミー賞等受賞したくらいですから、とても興味深い映画ですが、万人向けの映画ではないと思います。

まず「バードマン」というタイトルで勘違いしないことです。
実際、スッキリしません。楽しくありません。
挫折を味わった主人公が苦労した先に成功を勝ち取るようなカタルシスはありません。
ブラックコメディと言うけれど、私にはとても笑えませんでした。
(もちろん、笑えたという友人もいます)

実はこの映画、連休前のかなり早い時期に観ていますが、今までブログに書くことを躊躇っていました。
この映画は、観た人の解釈次第で、何階層かの深読みができます。
それをどこまで受け入れるかで、映画自体の楽しみ方が異なるでしょうね。

アッケラカンとした面白さでは無く、解釈する面白さがある映画です。
そういう映画が好きならばお勧めです。

私はこの勝手な深読みをいろいろここで書きたいのですが、まだ観ていない人にはネタバレになるでしょうし、そこを書かなければ意味が無い映画と思えるし、どうしようかと思いブログを書けないでおりました。

そこで今回は、半分ネタバレになる可能性を残したまま書きたいと思います。
全部ネタバレにはしませんが、観た人とこの部分について私はこう解釈したということを話したいのです。
ですからこれから観るのだから止めてくれという人は、ここで読むのを止めてください。
少しは観るヒント程度なら構わないという人は、もう少しだけお付き合いください。

それにしても全部のネタバレにならないように書きたいと思っていますが、私の筆力不足でネタバレになるかもしれませんので、本当にお気をつけください。





「これから先入観無しに観たい」という人はこの下は読まないでください。
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誰でも受け入れられる部分ですが、この映画の構造から書き始めましょうか。

まずはこのキャスティングの二重構造です。
マイケルキートン(元バットマン役者)、ナオミワッツ(元長い間売れない女優)などを使って、売れなくなった俳優の復活劇を演じて成功したい、という二重構造であること。
これが映画で多くを説明しなくても観客が納得しやすい構造になっているのでしょう。

次に全編ワンカットに見える超長回し画面という緊張感の持続と、全編に響くドラムソロがメインのBGMというこれまた緊張感たっぷりの構造。
これが主人公リーガンの心象を表しているのだと思います。

このあたりはどこにでも書いてありますから、問題ないでしょう。

さて、何故カットをしない(していないように見せる)のかという問題ですが、
おそらく主人公リーガンが現実と幻想の境目が無い世界を生きていて、なおかつ現実と演じる劇中劇との境目が無い状況を現しているのだと思います。
例えば彼が空を飛んで会場入りした後からタクシーが来る分をカットなしで描いていたりする部分等で分かるように、彼の中でも境目が無いことを示しているのでしょう。

もちろん境目を行き来するのはリーガンだけではありません。
娘のサムも現実とマリファナの世界を行き来し、ブロードウェイの名優マイクについても名声と満たされない欠落した人間性を行き来しています。
このワンカット風の映像は意識してみる価値があります。

またサムとマイクが始めるトゥルーゲーム(真実か挑戦かゲーム)も、嘘と真の境目がわからない人生を暗示しているのだと思います。





この後はもっとネタバレに近い話しになります。
読むのは、この映画を観た人だけにして欲しいです。
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実際に観た人と議論したいのが、ブロードウェイの舞台で起こるとんでもない事件の後のシーンです。その後の15分程度の解釈がこの映画鑑賞のキモと思います。

あのワンカット風の映像が、あの舞台で起こる事件の後で誰にでも分かる大きなカットが入れられます。あのカットの意味が当然あるはずです。

直後のクラゲと流星の映像。
そしてベッド上のバードマンを暗示する包帯姿。
はたしてあの舞台でリーガンの「企て」は成功したのか、それとも映像で見せられている包帯姿のままなのか。
そして、包帯をはずしたときに見たトイレに入っていたバードマンは何を表していたのか。
リーガンが最後に窓から飛び出した行為は何を意味するのか。
最終シーンで娘サムは空を見上げて何を見たのか。

人によって解釈が異なると思います。
私もまだ迷っている部分があります。




以下は私の考えです。
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あえて書きますと、私は最後の15分程度の部分は現実ではないと思います。
リーガンの「企て」は当然成功したはずです。
あれで失敗する訳がないと思います。
だからこそ、わざわざ苦労して長回し風ワンカット映像で作ってきたこの映画に、あからさまなカットを入れたのだと思います。
あのカットで現実と幻想の混沌とした世界が途切れます。

あれは、現実からもバードマンの幻想からも解放されたリーガンを描いたと思います。


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映画を観た人は声を掛けてください。
もっと具体的にお話ししましょう。