2015年1月2日金曜日

光秀の定理

気になる本は読む時間が無くても買っておくことにしています。
結構溜まったこれらの本の中、この正月に読んだ最初の本が、この本「光秀の定理(レンマ)」(垣根涼介著・角川書店)です。


買ったときからとても興味があり、私の積ん読の中では次読む本の候補トップ3にいつもいたのですが、なかなか読む機会が無かった本です。

この本のタイトルにもなった「光秀の定理」とはなんでしょうか。
本の折り返しにこんな紹介が書いてあります。

信長・天下布武の戦いの初手である六角氏攻め。
光秀が攻めるのは難敵・長光寺城。
その山城に至る山道は4本。
うち3本には伏兵が潜む。
光秀は2つの道は見極めた。
残るは2つにひとつ。
だがその確率は、本当に50パーセントか!?

歴史に確率論を持ち込んだ画期的小説です。
ここに惹かれて買いました。
光秀との生涯の友になる愚息という坊主が辻博打で使う技が、物語の早めに披露されます。

4つの伏せたお椀の中のどれかに小石を入れる。
相手に小石が入っていると思うお椀を言わせる。
それ以外の2つの外れのお椀を開く。
のこりは2つ。
ここで相手にはもう一度、この2つの中から選んでも良いと言う。
二者択一、ここで確率2分の1のはず。
しかし回を重ねる毎に愚息が次第に勝っていく。
いかさまは無い。何故なんだ。

こんな確率理論を戦国時代の謎の坊主の辻博打の舞台で使うことが面白かったです。
ここは結構引き込まれました。
そのあと、上記の紹介にあるように長光寺城攻めの場面で、この理論が実戦に使われます。
著者がこの本でやりたかったことは分かりますが、ちょっと理論的に条件設定がこの場面では違う気がします。
詳しく書くと完全なネタバレになりますので書きづらいし、書かないと何を言っているか分からないでしょう。少なくても4つの選択肢から2つ外れるときの条件が違うはずです。この本を読み終わってから再度このブログを思い出して欲しいです。

まあ、そんなことを差し引いても、この本は面白いです。
むしろこの設定の部分を気にせずに著者に騙されても構わないと思います。
だからこの本を紹介しているのです。

明智光秀が再起を図りながらも不遇な頃、流れてきた兵法者の新九郎と辻博打を生業とする坊主の愚息との交流を描いています。
この3人の人物設定がしっかりしていて、それぞれがとても魅力的に書かれています。
もう書き尽くされている明智光秀の、新しい、でも納得させられる人物像を創り上げています。

この物語は、明智光秀というよりむしろ愚息と新九郎にページが割かれています。
明智光秀というある時代の主役をとった人物とその生き方に絡む物語を、この3人の関係で描いているのでしょう。

明智光秀がなぜ織田信長に破格の待遇で取り立てられ、なぜ本能寺の変を起こしたのか、著者により明確な説明がなされています。
この部分については、そうかも知れないと思います。
騙されているかも知れませんが、読者としてはそれはそれで嬉しいです。

これだけの力量がある著者ですから、スピンオフなど、もう一度この3人を扱って書いて欲しいと思います。それだけ彼らは魅力的なキャラクターです。

当時の常識人のトップであった光秀と、天才若しくは魔王としての信長との対比で描かれる今までの物語は、大抵重いか、辛いか、悔しいかだったと思います。
光秀にまつわる物語でこのような爽やかな読後感を得て、読んで良かったと思いました。


本年もこんな感じでブログを書いていきます。
懲りないでお付き合いをお願い致します。