2013年10月31日木曜日

ブログカウンター60万回

このブログのカウンターが60万を数えました。
ブログを始めたのは2009年9月30日でした。あれから4年経ったのですね。ブログの記事は1002回を数え、60万回超えの閲覧を戴いたのですね。ありがたいことです。

以前から、ブログは自分の日記を人に晒すようなものだから、ブログを書いている人の気が知れないと思っていました。それなのに、まさかの自分が書き始めて、そして書き続けられたのは、自分でも驚きです。
おそらく不特定多数に向けて書いている訳では無いからでしょう。
明確にお伝えしたい皆さんがいて、確実にお伝えしたいことがあるから続いたと思います。

お伝えしたいことは山ほど有ります。
それでも、私が想定外の方々も読んでいるブログです。
だから、物事についてどこまで書くか、いつも判断に迷います。

また、毎日説教がましいことを書いても読んでくれないだろうなと思い、その間に書籍や文具やスポーツのネタを入れたりしています。
そうしたら文具ネタだけ拾い読みしてくれる方もいるようです。
「会長、こんなペン知っている?」って、自分のペンを見せてくれる会員がいます。若干私のブログ執筆趣旨と違うけれど、それはそれでとても嬉しいです。

東日本大震災直後は、このブログで現地の対策本部の報告も兼ねました。まさかこのブログが、こんな記事を書くことになるとは思ってもいませんでした。
あれから、このブログで被災地から発信しているつもりで、実はたくさんの支援の心を受信することができました。ブログを開設して良かったと思いましたし、皆さんにはとても感謝しています。

会長という役職は、正直この3期目で勘弁して欲しいと思っています。ですから会長ブログとしては、あと1年半だと思います。
これから何回の記事を書いて、のべ何人の方が読んでくれるのでしょうか。書きたいネタはまだまだ有ります。よろしければもう少しお付き合いください。





2013年10月29日火曜日

全国青年土地家屋調査士大会 inOSAKA

19日(土)に「全国青年土地家屋調査士大会 inOSAKA」が開催されました。
この全国大会については、何回か過去のブログでも紹介しています。

たとえば震災直後の「全国青年土地家屋調査士大会in福島」を読んでみてください。

いわば、全国の自称青年土地家屋調査士が年に一度一堂に会しての情報交換をする場とでも言えましょう。


全国から、頼まれもしないで、誰も旅費を出してくれないのに270人の土地家屋調査士が集まりました。
270人と言えば一つの単位会の人数ですね。

青年と言っても年齢制限はありません。
自分が青年だと思っていれば良いのです。
だから私も第1回から毎年参加しています。
ちなみに私は土地家屋調査士を廃業するまで青年と決めました。

変な組織でもありません。単位会と対立する組織ではありません。
だから全国の調査士会の役員も多数参加してます。
宮城の会員なら分かると思いますが、いわゆる青調会ですね。

仕事がないと言って嘆いている会員の皆さん、
一度で良いからだまされたと思って参加してみてください。
飛行機のパックを使えば、北海道から沖縄まで宿泊付きで数万円で往復できますよ。

昭和の時代の成功を個人も組織も引き摺っていて、先が見えているはずなのに見ないふりして動かないあなた、全国を見てください。仲間が何を議論しているかを。
サラリーマンで無いのですから、自分の力をつけるのは自分で動くしか無いのです。
参加すれば、おそらく調査士人生が変わるかも知れません。

来年の全国大会は岡山です。
興味の有る方はお問い合わせください。







2013年10月28日月曜日

筆界調査は調査士の基本で王道です

かなり書きたい記事が溜まっています。遅ればせながら少しずつ書いていきます。
さて、18日(金)に宮城会の研修会を開催しました。今回も多数の参加者がありました。

研修タイトルは
「筆界特定制度について」
  蝦名貴保氏(仙台法務局総括表示登記専門官)
「法務局備えつけ地図公図の成り立ちとその特性及び留意事項」
  江口 滋氏(日調連制度対策本部委員・愛知会)

蝦名氏も江口氏も、とても得がたい講師です。
秋晴れの測量日和の中で、測量に行かずに室内の座学を選んでくれた会員に後悔させない研修会だったと思っています。

毎年全国流行の研修会もあるけれど、やはり土地家屋調査士が何度も何度も継続して研修すべきものはこれです。
筆界調査は、土地家屋調査士のすべての基本であって、とても奥が深いものです。
日常業務の土地の登記はもちろん、筆界特定、境界鑑定業務も、すべての業務は、この筆界調査能力が必須です。
そして私達の測量能力や法律能力は、この筆界を判断するためのツールであって、目的でないことも再確認してください。

会員の皆さんは、日常業務でいつでも触れているから、この調査技法については分かっているつもりでしょう。でも私はまだまだ甘い部分があると思っています。

14条1項地図の地域の会員は、復元だけに頼っていませんか?
14条4項地図(いわゆる公図)の地域の会員は、立会だけに頼っていませんか?

それなら土地家屋調査士は不要です。
復元だけだったら、測量コンサルでもできるでしょう。
立会だけだったら、資格がなくても誰でもできるでしょう。

我々が調査判断した筆界は、裁判でも覆されてはなりません。
書証・物証・人証を丁寧に検証して、土地家屋調査士の能力により総合的に判断して筆界が浮かび上がります。

新人の皆さんは特にこの技法は疎かにしないでください。
復元だけや立会だけに頼っていませんか?
あなたの補助者時代に勉強した事務所の技法が王道かどうか、そこから検証してください。
私達が判断した筆界が、裁判等で覆されることがあれば、もう専門家とは言えませんので。

宮城会では、しつこいくらいにこのテーマの研修会を、多角的に企画して開催し続けます。






2013年10月23日水曜日

全国会長会議で日調連役員の選出方法を考えた

10月16日と17日の2日間で平成25年度第1回全国会長会議が開催されました。
全国会長会議については過去にも何回かブログで紹介しました。
全国50会の土地家屋調査士会の会長が一堂に会して、土地家屋調査士が抱える問題について議論する場であり、通常年に2回開催されています。
以前は日調連総会までの地ならし、またはガス抜きの場として使われているように思えましたが、会長の中から変化を求める声が上がり、少しずつ形式も変わってきました。
私自身も本来総会等の決議機関ではないのですからこそ、自由な議論が必要だと主張しておりました。

今年の会長会議ですが、あの全国に被害をもたらした台風26号の中で開催されました。
当日の交通機関の麻痺が予想されたので、急遽会議の前日に東京に入ることを、日調連から勧められました。私も前日18時頃まで仕事が有ったのですが、結局夜に東京に入りました。
飛行機や新幹線が動かない中、全国の会長はやはり前日入りしていたようで、一人も欠席無しの中会議が開催されました。大したものです。

さて今回は、新しい日調連役員による初めての会長会議です。
6月の総会後、各部が組成されてから3ヶ月半です。
そして日調連の会長や副会長が変わっていますので、会議で話しを聞いていると、部にもよるのでしょうが、おそらく前年度の引き継ぎからやっと動き出したところのようです。
私が日調連理事だった頃と同様に、前役員からの引き継ぎも十分ではなさそうでしたから、はじめから勉強をし直しているのかも知れません。

会長会議の雰囲気も変わってきたので、今回の役員には期待しています。
それでも、このような引き継ぎや組織の始動では制度の議論は難しいと思っています。
誤解しないでください。今の役員の資質について批判をしているのではありません。
理事が2期4年でリセットされるこの暗黙のシステムを何とかしなければならないと思いました。
そうでないと誰が役員でも難しいと思いました。

単位会は10年20年継続している役員がいるものです。そうでなくても常に近くで顔を合わせているから、比較的役員変更後のタイムラグは少ないはずです。
そんな観点からも日調連の役員の選び方を再検討する必要が有ると思っています。

日調連の理事は各ブロックに選出人数の割り当てがあります。関東ブロックの7名以外は各ブロック2名の推薦になります。東北ブロックでも6県から2名が選ばれています。
各ブロックでも後が遣えているような意識が出るからなのでしょうか、能力があっても長く理事に留まることは難しいようです。

また逆に、どうせ先が無いと思うせいか、腰を落ち着けて勉強を重ねることをせず、他の部に関心がなく制度を語ることができない日調連理事もいたように思えます。
能力の無いと思われる人は1期で交代してもらうことも当然考えなければなりません。

各ブロック選出人数を半分(たとえば東北ブロックは1名)にして、残りの半数の一部は会長指名、その残りは全国から選ぶ方法に変更しても良いと考えています。
能力が有り勉強する覚悟のある方は、長く我々の制度のために働くことができる環境を作るべきだと思っています。

このような話しも今後議論したいと思っています。



2013年10月22日火曜日

忙しいけどね。仕事はできますよ。

先週はさすがに忙しかったです。

13日(日) 東京会多摩支部被災地視察
  被災地の案内と土地家屋調査士の視点による説明
15日(火) 全国会長会議の前日
  台風の関係で急遽夜に東京に移動
16日(水)~17日(木)全国会長会議
  新しい日調連役員による初めての会長会議
18日(金) 宮城会研修会
  筆界特定、境界鑑定に関する考え方と技法
19日(土) 全国青年土地家屋調査士大会 inOSAKA
 全国の自称青年土地家屋調査士が年に一度一堂に会しての情報交換

先週は特別に会議等が重なったのですが、まあ年中忙しいです。
先週の会議等についての報告は、遅くなりますがいずれ書きます。

さて、こんな状態ですので「会長はいつ仕事をしているのですか?」って聞かれることが多いです。
私に確かに絶対的な時間は少ないですが、当然仕事をしています。お客様に迷惑をかけるようなら、とっくに事務所は無くなっていますから。そして仕事をしなければ土地家屋調査士でいられません。
また自分で調査士法違反していたら、会員に本気で指導なんてできません。

問題は仕事のやり方でしょう。
私に質問する人は「仕事の段取りは常にこういうものだ」と思い込んで、毎日仕事をしているのではないでしょうか。 昭和の時代のノウハウをそのまま継承していませんか。
仕事の質。お客様の意識。仕事のツール等々、今はかなり変化しています。

お客様とはお会いしてしっかり打ち合わせしたら、その後は、可能ならできるだけメールで連絡を取らせて戴きます。 今はお客様の方も普通にメールをする時代です。お仕事で忙しいお客様ならむしろ喜ばれます。移動しながらでも丁寧な仕事ができますし、言った言わないのトラブルも無くなります。

オンライン申請の時代です。
モバイルしながら移動中でも仕事ができます。
基本的な閲覧調査ならオンラインでできます。
六法、先例、判例等を常にネットで調べられるようにしています。
そして過去の業務情報も含めて、私はクラウドに保存しておきます。そうしておけば、コンピュータが手元に無いときでも、必要ならiPhoneで過去の図面も閲覧できます。
事務所にいなくても業務の問い合わせに答えられます。

いつも添付情報は入手できた順からスキャンしてクラウドに置いておきます。
先日は大阪から仙台の物件のオンライン登記申請をしました。
この件は、出張前に現場を終わらせ、新幹線とホテルでネットを使いながら作業したものです。その後委任状等オンラインで送付できないものだけ、レターパックで大阪から仙台法務局まで送りました。何の問題もありません。

時間の調整で言えば、私は365日24時間、公私混同で段取りを考えます。
個人業ですから、オンもオフも自由に調整できるのですから、固定で考えていません。
そして1ヶ月にどれだけ時間を取れるかを考えて、仕事を調整します。
仕事を減らしても、工夫すれば、仕事の水準を下げずに利益は確保できるはずです。

土地の仕事であっても、現場調査よりもはるかに内業の割合が多いはずです。
内業なら休日でも夜でもできます。だから時間は工夫次第です。
まず動かせない土地境界立会等の日程を決めて、全体工程を考えます。

ここまで読んでも「俺は時間があるから、そこまでは不要だ」と思っている人も多いのでしょうね。もしそうであっても、いろいろ工夫すれば、あなたにはもっともっと時間ができますよ。



2013年10月16日水曜日

交響曲第一番 佐村河内守

あまりにも凄まじい。

佐村河内守(さむらごうち まもる)の「交響曲第一番 闇の中の小さな光」を読みました。NHKのドキュメントなどで彼の存在も彼の曲も知っていました。
交響曲第一番を初めて聴いたときは、鳥肌が立ちました。
しかし、彼がここまで凄まじい人生を送ってきたことは、書籍を読まないと実感できませんでした。



ご存じの方も多いでしょう。被爆二世として広島に生まれ、4歳から母にピアノを師事し、10歳で「ソナタ」をすべて制覇、その後音大を拒否し、独学で作曲を学びました。35歳で全聾になり、常にボイラー室に閉じ込められているかのような轟音が頭に鳴り響く頭鳴症と破壊的偏頭痛の発作に悩まされながら、絶対音感だけで作曲を続けました。
彼はしばらくの間、全聾であることを隠し続けていました。全聾の作曲家と言われることが、良くも悪くも作品への正当な評価をされないからです。
何度も挫折しながらも交響曲第一番「HIROSHIMA」を完成し、その直後自殺未遂をします。その後も発作と精神喪失(本人は発狂と書いている)を繰り返しながら創作活動を続けています。この交響曲第一番はクラシックとしては空前の大ヒットをしています。

この本を読んで、改めて佐村河内の交響曲第一番を聴いています。
聴きながら、彼の肉体的にも精神的にも闇の世界の中で、凄まじい苦悩の先に見えた「小さな光」を感じています。
以下は彼の本からの抜粋です。

自分を闇に突き落とした憎むべき相手と、真理への感謝を捧げる相手と、苦痛から救われるために祈る相手ー。その三者は「同一の存在」だったのです。

その三者が同一の存在だったと気づいたとき、私が”神”と呼んできたものの、その存在の大きさを嫌というほど思い知りました。
最終的に私が得たものとは、その大きな存在(神=運命)に身を委ね、ただ祈るほかないということでした。

運命に身を委ね、苦痛を忍び、祈りながら、「闇の音」を紡ぎつづけるほか道はないと知るばかりです。

誰にでもお奨めする曲でないかも知れません。
まして誰にでもお奨めする本ではないかも知れません。
辛すぎるからです。

でも興味があるのなら、一度読んでみてください。
また一度聴いてみてください。
「闇の音」が聴こえるかもしれません。



追伸)
フィギュアスケートの高橋大輔の今年のショートプログラムで、佐村河内守の曲「ヴァイオリンのためのソナチネ 嬰ハ短調」が使われます。
注目してください。

2013年10月15日火曜日

東京会多摩支部被災地視察

10月13日に東京土地家屋調査士会多摩支部の皆さんが被災地の視察旅行にいらっしゃいました。
東京会には東日本大震災の際にもご支援を戴いております。宮城会会長としてお声をかけて戴いたので、喜んでご案内させて戴きました。

宮城の滞在時間の関係で、多くを廻ることができませんでしたが、単なる被災地訪問では無く、不動産登記と地図の専門家である土地家屋調査士の観点から、大震災が起こった際に何が起きるかを見てもらいたいと思い、その視点でご案内させて戴きました。

私の定点観測の地、仙台市青葉区折立地区を見てもらいました。
(写真の指は気にしないでくださいね)

もし多摩地区に震災が起こったら、津波よりもこのような災害を想定していた方が良いかも知れません。防災は難しいからこそ事前のリアルな想定が重要です。


仙台市若林区荒浜地区も見てもらいました。
以下は大津波で被災した住宅地です。



何も無い海岸付近の原野を歩いているように見えるでしょうね。
この周辺の瓦礫はほぼ片付けられていますので、初めての訪問なら大震災以前の形を想像できないと思います。

このような被災地を歩くときは古い住宅地図を持って歩くと、まったく違う印象を持ちます。この写真は以の住宅地図の赤い道路を左から右方向に歩いているところです。
この住宅地図では拡大しないと分かりにくいかもしれませんが、この赤い道の真ん中辺りの「駐在所」付近です。

私達土地家屋調査士の専門家としての被災地復興の視点は、地図や基準点や境界標をどう取り扱うべきか、不動産登記をどう考えれば良いのか、まずはこの点を語らなければならないと思っています。なぜなら土地家屋調査士以外、この点の問題を正確に把握できないからです。
写真を見ているだけでは分からないでしょうが、実際に歩くと雑草の生い茂った中に、住宅地の区画も道路側溝も基準点も境界標も見つかります。これらの物証をどう扱えば良いのか。実際に見て、時間があれば測量してみて、考えて戴きたいのです。
現地も見ないで勝手な論を展開しようとしている文章を見ました。まず見に来てください。


私が小学生の頃に海水浴に来た深沼海水浴場です。
曲がった鉄柵を気にしなければ、海は靜かでまったく美しい色をしています。




2013年10月10日木曜日

気仙沼の佐々木宏明会員再入会

元気仙沼支部の佐々木宏明会員が再入会されました。
本日登録証交付式でお会いしました。

佐々木さんは、体調を理由に五年前に退会されました。
その後はお会いしていませんでしたが、あの東日本大震災で被災されたとのことでした。
退会された後ではありますが、すべての事務所設備や測量器具を流されたそうです。
そして今も、みなし仮設住宅にお住まいだそうです。

佐々木さんによると、地元気仙沼では復興を急ぐ反面、役所も民間も技術者不足で、地図や境界が分からないままに事業を進める状態が散見されるようです。
たとえば区画整理でできた地図と地籍調査でできた地図の違いも分からずに、物事を進め、余計に復興の妨げになっていることを見たそうです。

命が懸かっているときは、境界より何より行動がすべてです。
しかし、これからは新たな町を作るステージです。
復興事業は、法的にも安定させなければなりません。

佐々木さんはこれらの問題に関して個人的に相談を受けたものも有ったようですが、土地家屋調査士の登録をしていないと発言もできず、本格的に地域の復興に貢献するためにも再入会を決意されたとのことです。

私としてはとても嬉しい再会でした。
この五年間のブランクを埋めようと、研修に対しても前向きな姿勢を見せて戴きました。

佐々木会員には体調にお気を付けて、再入会されたからには長く会員を続けて、気仙沼をはじめ地域の復興にご活躍されることを祈念致します。



2013年10月9日水曜日

プロスポーツとプレイオフについて考えた


この一球は絶対無二の一球なり

やり直しのきかないその瞬間瞬間に、己の技術、体力、精神力の限りを尽くすから、スポーツは美しいと思っています。

さて、楽天イーグルスは9月26日にパリーグ優勝し、昨日10月8日は田中将大の年間負け無し24連勝というとんでもない快挙に浸っています。
これからクライマックスシリーズに臨みます。
このクライマックスシリーズについては、興行としての収益増と、ファンにとってはより多くの試合を楽しめるというメリットがあるのでしょうが、私はもともと反対でした。
本来リーグの1試合の重みを減らすものだからです。やり直しがきくのです。
クイズバラエティの 最後の問題で、突然配点を100点にするようなものです。
広島に恨みは無いけれど勝率5割行かないチームが、日本一になる可能性もあるシステムですから、納得できません。

優勝したから言うのではありませんよ。楽天イーグルスはどちらにしても日本一になるのですから。
プロ野球は、セパ交流戦は有るにしても、ほぼ一年間戦う相手が5チームしか無いというのに、年間144試合もあるのだから、もともと試合数が多すぎます。だから選手もファンも1試合負けてもどうってことないのです。日本プロ野球についてはいずれ書きたいと思っています。

またJリーグに目を向けると、年間1シーズンで戦っていたところを、2015年から前期後期の2シーズン制に戻すことに決定していまいました。
こちらもシーズン後にプレーオフをすることになるようです。前期の優勝チームと後期の準優勝チームが戦い、後期の優勝チームと前期の準優勝チームが戦い、その勝者同士が戦い勝った方が、前後期を通じて一番の勝率を得たチームと日本一を争うようです。
1回読んでわかりました?スッキリしませんでしょ。
私は毎日でもサッカーを見たい人間です。たとえば我がベガルタ仙台がシーズンを終えてもまだ試合があることは、正直嬉しいと思います。まして惜しくも優勝を逃した我がチームが復活できる可能性があれば、サポーターとしては力が入るかもしれません。
でもやはりスッキリしません。
前期優勝したチームは、後期は怪我しないように無理しないように試合をすれば良くなります。極端に言えば最下位でもプレイオフに備えれば良いので、試合の緊迫感は無くなります。

確かにJリーグは収益が伸び悩んでいます。だからサッカー協会はこんなことを考えて拙速に決めてしまいました。これは短期的な収益しか考えていないように見えます。
こんなことをしたらリーグ戦の1試合1試合の重みが薄れてしまいます。
一瞬のボールの不規則な弾み方で、とても不運な1回の誤審で、年間の優勝が逃げていくことがあるからこそ、サポーターは瞬きも惜しいほどに一瞬も見逃さないように試合を見ます。
この刹那的な緊迫感がスポーツの醍醐味です。
サッカー協会が目の前の小さな収入に目を奪われ、本来持っているスポーツの魅力を減少させ、かえってプロスポーツの将来を見失うように思えます。

こんなことを考えていたら、目先だけ見て将来ビジョンを見失いそうなあの業界の組織を思い出しました。

2013年10月6日日曜日

事前にシミュレーションすること

本日は他会の新人Oさんから相談を受けました。
相談の主要な部分はこのブログでは書きにくい部分がありますので割愛しますが、相談では無い部分で気になる部分がありましたので、ここで書かせて戴きます。

Oさんは先日お客様から測量の仕事を受けたのですが、測量図を描くことに慣れていなかったそうで、完成がとても遅くなって叱られたそうです。
遅くなった理由は、隣接者がどうのこうのでは無くて、個人のCADの操作慣れの問題のようです。

前から私の研修やこのブログでも言っていますが、この資格業界は仕事を受託してから調べたりする人が多すぎます。
どんな業界でも修行に修行を重ねて、お客様にお出しできる技を身に付けてから暖簾を出したり、メニューに加えます。
我々も、様々な依頼が来ることを予想して、事前にその仕事のシミュレーションをしておくべきです。むしろして準備しておかないと、その仕事の依頼は来ません。

今日のOさんのようにたまたま仕事が来たとしても、その仕事でお客様にダメ出しされたら、二度と仕事は来なくなります。後でどんなに仕事ができるようになっても、もう声はかけて貰えません。
彼に限らず仕事が来てから調べている人達は、何を甘ったれているんでしょうか。
おそらく合格率1桁の土地家屋調査士資格合格の成功体験に浸っているんでしょうね。
世間に褒められて、もう専門家になっているつもりなのでしょうか。
入会してみれば、土地家屋調査士は全員合格者ですから、ただの人なんですけどね。
そこを謙虚に捉えて、毎日トレーニングをしなければなりません。

Oさんのように図面を描くのが遅いなら、自分だけの問題ですから、毎日CADの練習すれば解決することです。以前から紹介しているように、入会したばかりの私のように、仕事の依頼が無くても毎日近所を測量して、毎日図面を描けば良いのです。
私は毎日公園を測量していました。
そのときの私は測量そのものがテーマでした。
たとえば「今日は偏心補正で」などのテーマを決めて、毎日練習していました。
もし彼のようにCADに慣れていなくて図面を描くことが遅いのならば、様々な現況を入れた図面を「毎日タイムを計って」描いてみることも必要でしょう。

もしOさんが筆界特定申請をやったことが無いのなら、シミュレーションしてみましょう。
自分の分筆などの資料を見て、「もしこの場所に境界トラブルが有ったとして、自分が筆界調査委員ならどんな意見書を出すか」を考えてみましょう。
そして実際に意見書を書いてみましょう。
筆界に関する意見書は、普段からトレーニングをしていなかったら、そうそう書けるものではありません。

新人の皆さん、まずはシミュレーションとトレーニングです。
仕事が中途半端な内に営業に行っても、自分で唯一のチャンスを潰すことになります。もう取り返すチャンスも貰えません。

Oさんも焦らなくて良いんですよ。
仕事ができるようになれば、必ず仕事は来ますから。



2013年10月3日木曜日

改正被災マンション法

本日「改正被災マンション法」の説明会が仙台で開催されました。
改正被災マンション法は、正確には「被災区分所有建物の再建等に関する特別措置法の一部を改正する法律」と言います。(平成25年法律第62号)講師は法務省民事局参事官中辻氏と同局付川副氏です。

被災マンション法については、2011年8月3日のブログで少し紹介しました。
もう一度整理してみます。

一般的にマンションを建て替えるには、区分所有者の5分の4以上の賛成者がいれば良いのです。反対者の権利も配慮することが前提ですが、全員の合意が無くても立て替えは進められます。

平成7年に阪神・淡路大震災が起きました。たくさんのマンションが破壊されました。
これはマンションが全部滅失する状態ですから、マンションの所有者は区分所有者の立場では無くなり、単なる敷地の共有者という位置づけになります。
そうなるとその敷地に新たな区分建物を建てる場合は、民法で言う共有物の変更行為になりますので、共有者全員の合意が必要となります。
しかし、何百人もいる共有者全員の合意を取ることは、現実問題不可能に近いのです。
これは反対者が多いというだけの問題ではありません。被災マンションですから、各権利者に簡単に連絡が付かないのです。実際にお亡くなりになった方もいるかも知れませんし、少なくとも皆さんどこかに避難しているでしょう。
このままでは、何もできなくなってしまいます。
そこで平成7年に制定されたのが「被災マンション法」です。
建物は実際に滅失しているのですが、マンションの区分所有者だった人達の5分の4以上の同意で再建が進められると言う特別措置が定められました。

東日本大震災では、完全に倒壊したマンションはありません。ただし、これらの建物は、被災していつ倒れるか分からないマンションだから、大変危険であり、すぐにでも全員撤去して取り壊さなければならない建物であるものも多いのです。
しかし、古いマンションの住民には、終の棲家として購入した高齢者も多く、簡単には引っ越すことができない実態が有るようです。また建物を取り壊して建て替える意思は無く、むしろ敷地を売却して終わりたいという希望が有るようです。今から再建するための資力に乏しく、融資も受けられない年齢であるということが理由のようです。

被災区分法はあくまでも建て替えるためのものです。マンションを壊して、敷地を売るための措置ではありません。ですから、全員の合意を得なければ一部倒壊しているマンションを取り壊すこともできません。これでは、近隣住民に対しても、都市経済的にもとても問題が生じました。ですから東日本大震災では、新たな別の特別措置が必要になりました。

あれから2年間、私は、あらたな特別措置の必要性があることを、シンポジウムなど機会ある度に訴えてきました。
その後、政権交代など様々な要因もあったようですが、今年6月26日に「改正・被災マンション法」がやっと公布・施行されました。
共有者の5分の4以上の同意で被災マンションの取り壊しや、その敷地の売却が決定できることになったのです。

これはとても重要な法律です。詳細は条文を当たってください。
被災地の土地家屋調査士の皆さんは何かと相談を受けるはずですから、この法律も丁寧にチェックしておきましょう。





2013年10月2日水曜日

気仙沼さんま寄席

古典落語「目黒のさんま」を知っていますか。
「さんまは目黒に限る」という落ちの噺です。
まあ皆さんご存じでしょうね。

その噺にちなんで毎年秋に東京・目黒で「目黒のさんま祭」が開催されています。
そのさんまの全国的に有名な漁港と言えばご存じ気仙沼です。
そこで「目黒のさんま祭り」には、毎年気仙沼市の費用でさんまが提供されていました。
東日本大震災後も同じく提供するための費用を作りたいという気仙沼市長の相談を受けた糸井重里氏が提案したのが「気仙沼さんま寄席」です。
「慰問としての落語会ではなく、気仙沼の人がしっかり稼ぐイベントにしましょう。」という提案です。
気仙沼まで行っても是非聴きたいという寄席を企画して、全国からお客様を気仙沼に呼ぶツアーを企画するのです。
とても良い考えです。
昨年に第1回が開催され、今年が第2回目です。

先週末29日、その「気仙沼さんま寄席」に行ってきました。
出演者は、実力と人気を備えた立川志の輔師匠。
今、一番チケットの取りにくい噺家です。
まくらは、師匠得意の小咄を次々に重ねるもの。
小咄の落ちを知っていても毎回笑わせられます。
そして演目は「猿後家」と「新・八五郎出世」でした。

この「新・八五郎出世」は「妾馬」とも言います。
大工の八五郎の妹の鶴が殿様に見初められお世継ぎを生みます。
その八五郎が殿様に招かれるのですが、がさつな言葉使いで、案内してくれた田中三太夫をハラハラさせます。この部分が笑わせる部分ですね。そんな八五郎の態度が返って殿様に気に入られ、士分に取り立てられすのです。その後、侍となった八五郎が馬に乗ってまた一騒動起こすのですが、大抵は士分に取り立てられるところで噺が終わります。
そこで、この噺を「妾馬」と言わず「八五郎出世」と言うことがあります。
志の輔師匠の噺では、八五郎は士分に取り立てられることも断ります。出世もしません。
そこは泣かせる人情噺に仕立てられています。
志の輔師匠はさすがに聴かせました。

これなら新幹線や飛行機に乗っても聴きに来たくなります。
遠くからいらっしゃるお客様は、宿泊して、気仙沼で朝ご飯を食べて、気仙沼の海産物等のお土産を買ってもらいます。
糸井氏の「慰問ではなくしっかり稼ぐイベント」という発想は、とても素晴らしいと思います。