2013年3月29日金曜日

松陰の至誠

至誠而不動者未之有也

吉田松陰の言葉です。

至誠にして動からざる者は未だこれ有らざるなり 

先日のNHKの大河ドラマでも、吉田松陰が処刑された場面で紹介されていました。
「誠を尽くして物事にあたれば、どのようなものでも必ず動かすことができる」という意味です。

松陰が取調べのために、江戸へ移送されることになった際に、萩の弟子達に残した言葉です。
この言葉は、「現代的な誠意を尽くす」という意味合いよりも、もっと激烈な想いを持って、発せられた言葉のはずです。
吉田松陰の「誠」は、牢獄に入れられるときも、断罪に処される直前でも、揺らがないものでした。

松陰は弟子達に理論以上に魂を伝えた教育者でした。
理論を伝える教育者はいくらでもいます。魂まで強く伝えられる教育者は、そう多い訳ではありません。
松陰の講義を聞いた人々は、心酔して弟子になったと聞きます。そして、その松陰の魂を引き継いだ弟子達が明治を作りました。
魂を伝えることは、間違いなく「誠」がないと伝わりません。
松陰は彼の人生を賭けて誠を尽くして魂を後世に伝えました。


かくすればかくなるものと知りながら
やむにやまれぬ大和魂

このまま進めば死罪になることを理解していながらも、どうしても正しいと信じる道を進まなければならない。それが日本人の魂なのだ。

松陰が誠を尽くして進んだ道は、自分の栄達の道ではありません。
自分の身を滅ぼしても、次の日本を創ることでした。

吉田松陰が命を賭して創った新しい日本では、安っぽい誠意という言葉に溢れています。
松陰が生きていたら、我々を日本人と認めてくれるでしょうか。

明日から新年度です。
何に対しても誠を尽くして生きたいものです。