2012年8月21日火曜日

大阪市の文楽補助金削減問題を見て感じたこと

大阪市の橋下市長が、伝統芸能である文楽に対しての助成を打ち切るという発言をしてから、様々な議論が出ています。いろいろ読みながら考えました。

文楽は保護しなければならないものなのでしょうか。
伝統芸能という言葉は長い時間をかけて、その素晴らしさで今の位置を獲得した芸能です。長い時間の中で、その時代時代に評価されるように努力を続けて来たものです。
最初から完成されていたものではなく、時代時代で変化したものです。
だから伝統を盾にしても仕方ありません。
各時代でそうして来たように、文楽は今の時代の観客に支持される様な努力の方向も当然必要で、後世に伝える義務が有るはずです。
「芸術が分からないヤツは来なくて良い。」という高みからの発言も聞こえますが、補助金が税金から出ているのなら、やはり納税者へのサービスを考えるのは当然と思います。

文楽の素晴らしさを語る人たちはたくさんいます。
であれば、助成金ではなく、素晴らしさだけで生き残るべきだと思います。
他の芸能はそうしているのですから。

実際にこの問題以降、技芸員達がPRに勤めたこの夏の特別公演は前年比4割増しになったとの報道が有りました。ある意味橋下市長の逆宣伝のお陰でしょう。この客は一連のニュースによる一過性の客かもしれないけれど、その一見の客を常連に変えるのは、その公演の努力次第だと思います。凄いチャンスでしょう。

これらの議論をみていると、我々土地家屋調査士などの資格の世界を考えてしまいます。
各種国家資格は、平成15年までは直接的にも間接的にも国に守られてきました。
これは日本の資格制度が、ある意味役所の下請け的な意味を持っているという理由もあったことでしょう。我々は守られていた中で発言をしていたのです。
でも司法制度改革等の規制改革の中で位置づけが変わりました。
専門家というものは、制度があるから残るのではなく、人の役に立てるから残るのです。
昔が懐かしいと嘆いていないで、我々の現代から未来に続く地籍のスペシャリストとしての様々な価値を、その時代時代に対応して磨いて行かないと、やがて日本にとって不要になるのでしょう。
もし我々土地家屋調査士が60年前の代書屋の域を出ないとすれば、伝統技能として役割を終えることが有るかもしれません。
今我々を取りまく環境の変化は、逆風ではなく、大きく変化できるチャンスと考えるべきです。

さて、とりあえず10月17日の文楽仙台公演でも見に行こうかな。
どれどれ、夜の部でも平日の18:30開演か。
好きならどうにでも調整して行く時刻かも知れませんが、一般的な社会人は無理しないと間に合わない時間帯ですね。これは。
「見てみようかな」程度の気持ちなら止める時刻かも知れません。私の好きなクラシックのコンサートなどもこんな開演時刻が多いのですが、他国ではもうすこし遅い時刻から始まります。
本当に素晴らしいのなら、こんな部分からでも、新しい客に見に来てもらう努力が必要だと思いますけどね。