2012年8月16日木曜日

終戦の日に日本の復元力を考える

8月15日は終戦の日でありました。
毎年各メディアでは戦中戦後の話題を取り上げます。

戦後の日本は驚異的な復興をしたと評価されています。
敗戦後の焼け跡から短期間で経済大国への復興です。
世界史でも希有な存在とされています。

そして今回の東日本大震災からの復興も戦後の復興になぞらえて話をする人がいます。
確かに、昨年の大震災で夥しい人が亡くなり、国土の形がすっかり変わってしまいました。そして世界はまた短期間で日本が復興すると考えています。

しかし、どうでしょうか。
昔の「戦後」と今の「震災後」で、日本人の価値観が変わったと言われます。
そうかも知れません。
そうでないかも知れません。

当時は日本中が敗戦の当事者でした。ですから日本全員が、日本の復興と未来に向かって一丸となって頑張ることができたのです。

戦後良くも悪くもアメリカナイズされ、日本人は個人主義になりました。
あらゆることは全部他人事と考える人が増えました。
自分に降り掛からなければ関係ない、自分に降り掛かってくると異常に騒ぎ立てる、そんな日本人が増えました。

今回の震災は、どうも日本中の問題では無さそうです。
これは日本人の気質の変化だけでなく、政治とメディアにも責任もあると考えています。
政治は責任ある決断をせずに、各種メディアは震災後一年に「絆」と言って全国の支援の強迫観念を煽り、二年目になるとあまり関心も示しません。

いつも書いていますが、私が東北の人間だからこんなことを書いているのではありません。東北はいつまでもメソメソ泣いている訳ではありません。何かを送ってくださいと言っている訳でもありません。
東日本大震災の被災地復興に十年も二十年もかかっていたら、次の首都直下型などの大震災が起こったときに日本は対応できません。

ですからこれは日本全体の問題なのです。

たまたま東北の、たまたま沿岸に起きた震災が、場所と時間がちょっと違っただけで、私たちは別の運命を迎えたかも知れません。最近私は生きている者の責任を感じます。
これは戦後と同じです。当時も偶然に戦死した人、生き残った人がいました。

生きている者の責任、もしかしたら生かされている者の責任として、戦後のように我慢するところは我慢して、各々が少しずつで良いからできることをして、「日本の復元力」を見せましょう。