2012年8月30日木曜日

はやぶさのグリーンは仕事にお勧め

本日は千葉会の研修会講師に伺って、日帰りで帰りました。
朝早く出て、午後一番に研修会が始まり、その後懇親会まで出ても、その日ギリギリに帰ることができます。微妙に近いですね。少しゆっくりもしたいのですが、時間も無いので、それも良いのです。

さて、そういう意味でもゆっくり仕事をする時間も無いので、往復グリーン車で動きました。前にも書きましたが、新幹線は一番仕事が進む空間です。
新幹線に乗っていると、何しろ電話が来ません。来ても対応が難しいですので、最初から諦めています。自分の机と違い周りに私の興味を引く玩具類が無いので、集中が途切れません。

問題があるとすれば、隣の席にどんな人が来るかだけです。
とりあえず私は窓側を予約します。景色を観るのではありません。隣の席の人がトイレに立っても邪魔されない席だからです。

本日の帰りの新幹線が「はやぶさ」型のグリーン車でした。
今まで縁がなかったのでしょうか。これまでこの車両に乗ったことがなかったのですが、これは良いですね。「はやて」型より良いですね。




シートが堅くて、背もたれが高く背中のホールド感も良いです。座席の前後幅も今までの車両よりも広いです。そして座面がチルトし、電動レッグレストを装備し、各席に電源が付いています。読書灯も飛行機並みに明るくスポットで照らします。
出張には常にMacとiPhoneを持参する私としては、この電源が各席付いているのがありがたいです。グリーンは比較的空いているので、電源を2個確保して仕事をしました。
今回は往復仕事ができましたので、結構はかどったようです。
「はやぶさ」には、弁当飲み物付きのグランクラスが有るのですが、仕事目的で2時間弱乗るのなら、グリーンで十分かと思いました。

2時間弱の時間この空間を利用できるなら、「はやぶさ」のグリーンは安いです。これもいつも言っていますが、私にとって、この場合のグリーン車は旅費交通費の分類ではありません。仕事部屋をレンタルするイメージです。
これからは、できるだけ「はやぶさ」の車両形式E5系を意識して予約することにします。



2012年8月27日月曜日

困ることを具体的に想定すれば良い

東日本大震災後、機会を戴く度に全国各地にお伺いして、被災しなければ気が付かなかったことをお伝えしています。これが全国からご支援に戴いた被災地の責任だと考えています。


全国各地で、大災害に関して「事前に何をしておけば良いでしょうか?」という質問を戴くことが多いです。もちろん、それが私たち被災地の責任としてお伝えしている一番のところです。


私も今までどおり、できるだけ多くお伝えするように努めます。
また前回ブログでお伝えしたように、被災3会共催の12月15日に開催する合同報告会「被災地からの発信」でも、できるだけ丁寧に、できるだけ分かりやすく、できるだけ詳しくお伝えするつもりです。



しかし、どんなにお伝えしても、埋められない部分があります。
被災には各々特異性があるからです。

私も東日本大震災が起こる前から、阪神・淡路大震災の勉強もしておりました。
その事前に勉強していたことで役に立ったことと、使えなかったことがあります。
使えなかった部分は、それは被災の性格が違うからです。

阪神・淡路大震災とは、被災面積が違います。
原発問題の有無が違います。
大津波の有無が違います。
被災地域の人口集積と主要産業が違います。
気候が違います。
国の姿勢が違います。

ですからどんなに丁寧にお伝えしても、今後起こるかも知れない大災害に対して、阪神・淡路大震災の事例も、東日本大震災の事例も、役に立つ部分と役に立たない部分が出てくるでしょう。

それを埋めるのはイマジネーションです。
私たちの話や報道を聞いて戴いて、それが自分の地域に起こることを想定してください。
津波が絶対に来ないところでは今回の大津波の事例は役に立たない部分かも知れません。
でも困ることを想定して、その場合具体的にどうするか考えておくことが、とても重要な対策になります。

  • 運転している最中に大地震に遭ったらどうするか
  • 寝ている間に大地震に遭ったらどうするか
  • 仕事中に大地震に遭ったらどうするか
  • 3日間家族と連絡がつかなかったらどうするか
  • 4日間電気が止まったらどうするか
  • 7日間あらゆる店が閉まって何も買えなかったらどうするか
  • 10日間水が止まったらどうするか
  • 14日間ガソリンが無かったらどうするか
  • 30日間ガスが止まったらどうするか
  • 家が潰れたらどこに非難するのか
  • 家が無くなって家族と連絡が取れなかったら、どこで落ち合うのか
  • 通院中の病院が潰れたら持病の薬はどうするか
  • 介護中の家族の介護の継続はどうするか
  • 事務所の貴重なデータはどうするか
  • 調査士会会長始め役員の大半が亡くなったらどうするか


様々な想定をしてください。
何が困るか考えてください。
何が困るかは各々違うのです。

ね、困るでしょう。
でもこれらが具体的に想定できれば、それぞれ対策が立てられるのです。

この当たり前のことが何故できないのでしょうか。
それは全国の皆さんが、まだ他人事だと思っていることです。
自分の身に降りかかると本気で思わないと防災対策はできません。







2012年8月24日金曜日

気仙沼線BRT開通に思う

全国の皆さんはBRTの問題はご存知ですか。
ここのところ報道されているので「BRTは知っているよ」という人も増えたと思います。
BRTは Bus Rapid Trasit の略です。

今回の東日本大震災で破壊された鉄道路線の線路や枕木を外して道路として整備し、そこにバスを走らせる構想です。BRTは鉄道をつくる費用の10分の1程度で済むようです。
整備されるのが専用道路ですので、他の車は通ることができません。その分、他のバスという手段と違って渋滞が無く、走ることができるというものです。

気仙沼線は8月20日にBRTに変わって開通されました。
と言っても、実際に専用道が整備できたのは55.3kmのうち1区間2.1kmのみでした。
その他の部分は一般道を走ります。ですからBRTは、初日から早速渋滞に巻き込まれ、遅れたようです。

今回の被災に遭った海辺の路線はもともと赤字路線です。気仙沼線、大船渡線、山田線などです。これらは、国鉄からJRへの移行の際にも、赤字を理由に廃止が議論された路線
です。
この赤字路線に東日本大震災の大津波が襲いかかりました。その模様は全国の皆さんもご存知と思います。
そして、もうすぐ一年と半年が過ぎようとした今、鉄道ではなく、BRTとのことです。その復旧に関してJR側は「BRTはあくまでも暫定で、将来鉄道を復旧させる。」と説明しています。
しかし、本当に鉄道を復旧させる気持ちがあるのでしょうか。
被害の少ない部分の線路も剥がしてまでBRTを開通させるとすると、鉄道を復旧させることは大変難しくなります。
大震災が、赤字路線を減らす丁度良い口実に使われているように感じるのは考え過ぎでしょうか。

気仙沼市の菅原市長は以下の発言をしています。
「気仙沼から陸前矢作(陸前高田市)間は被災程度が小さく、鉄路での復旧は難しくないはずだ。あえて、線路を撤去して専用道を造る必要はない」


鉄道はJRという一企業の為に有るのではありません。国民全員の為に有るです。そして鉄道は国民全員の財産です。赤字だから廃止などと簡単にされては困るのです。

地元の人間も複雑です。
この一年半程度の中に、鉄道が使えないで大変苦労したので、BRTでも何でも早く開通すれば助かると思う人。一度BRTを認めたら二度と鉄道は通らなくなるから反対と言う人。
どちらも本当の気持ちでしょう。

そしてJRや為政者は、これらの発言の中から都合の良い部分を選び、「被災地からの要請だから・・・」と言ってBRTを進めたのです。
BRT賛成者であっても、あくまでも「暫定だから」という説明の中で納得してきただけなのに。

これは今回の問題だけではありません。
政治が言う「地元の要望」「世論の後押し」というのはこの程度のことなのです。

そして過疎地は切り捨てられるのです。




2012年8月22日水曜日

専門家は他人のために存在するのです


昨日のブログ「大阪市の文楽補助金削減問題を見て感じたこと」に、Masaaki Matsuuchiさんからコメントを戴きました。
コメントに対するお返事が長くなりそうなので、ここでお返事致します。

Masaaki Matsuuchiさん

最近コメントありがとうございます。
私のブログにも何か反応があると書いてて励みになります。
ここでは、Matsuuchiさんにだけでなく、他の読んでくださる方々も含めて、お返事をさせて戴きます。

Matsuuchiさんの中学校時代の文楽鑑賞の話、興味深く読ませていただきました。
英語教師の話すこと、良く分かります。

さて、Matuuchiさんがおっしゃる「士業者も会社員も、生き残る道を模索しなければ、容赦なく「無用論」にさらされる」の部分ですが、本当にそうだと思います。
また言い方を変えれば、「無用論にさらされそうな資格だから、生き残ることができない」のかも知れません。

「土地家屋調査士が生き残る」ということが目的では駄目なのです。「土地家屋調査士に生き残ってもらわないと困る」と国民が言う専門家でなければならないと思っています。
この違いがとても重要です。

土地家屋調査士は、過去も現在も国民に必要な存在だと信じています。そして国民に必要な専門性は時代によって変わります。我々も伝統的なノウハウだけでは、これからは難しいでしょう。

何しろ国の枠組みが変わり始めて既に10年以上経ちます。
地理空間情報に関する国内外の環境もすっかり変わっています。
また昨年の東日本大震災を経て、この変化はより加速するはずです。

くどいですが、身に付けるべきノウハウは「我々が生き残るためのノウハウ」ではありません。
その時代に応じて「国民の皆さんのお役に立ち続けるノウハウ」であるべきで、それが結果的に我々が生き残ることができるノウハウになると思います。
今そのノウハウを持っていないのは当たり前です。未来のノウハウですから。
でもそのノウハウは我々専門家が身に付けなければなりません。

また、ついでに余計なことを書かせて戴きます。
全国の皆さん、
勲章を目指して役員をやっている人が、全国や中央にまだ残っていませんか。
まだ少しいるのならこの業界は駄目でしょうね。その役員は自分個人のためにやっているのですから、任期の内はあまり余計なことをしたくないのです。何しろ「しない言い訳」は「経費削減している」などといくらでもできる訳ですから。
土地家屋調査士業界よりも自分の為に役員をやっている人は、当然国民のことは二の次ですね。それではノウハウの蓄積などできません。そんなことをやっている内に、業界は時代に遅れてしまいます。

ぬるま湯に浸かっているうちはまだ良いのです。ぬるま湯は間もなく冷めてしまいます。
そして風邪を引くのです。風邪をこじらせて肺炎になるかも知れません。

専門家ですから、皆で本気で動きましょう。
すべての専門家は他人のために存在するのですから。



2012年8月21日火曜日

大阪市の文楽補助金削減問題を見て感じたこと

大阪市の橋下市長が、伝統芸能である文楽に対しての助成を打ち切るという発言をしてから、様々な議論が出ています。いろいろ読みながら考えました。

文楽は保護しなければならないものなのでしょうか。
伝統芸能という言葉は長い時間をかけて、その素晴らしさで今の位置を獲得した芸能です。長い時間の中で、その時代時代に評価されるように努力を続けて来たものです。
最初から完成されていたものではなく、時代時代で変化したものです。
だから伝統を盾にしても仕方ありません。
各時代でそうして来たように、文楽は今の時代の観客に支持される様な努力の方向も当然必要で、後世に伝える義務が有るはずです。
「芸術が分からないヤツは来なくて良い。」という高みからの発言も聞こえますが、補助金が税金から出ているのなら、やはり納税者へのサービスを考えるのは当然と思います。

文楽の素晴らしさを語る人たちはたくさんいます。
であれば、助成金ではなく、素晴らしさだけで生き残るべきだと思います。
他の芸能はそうしているのですから。

実際にこの問題以降、技芸員達がPRに勤めたこの夏の特別公演は前年比4割増しになったとの報道が有りました。ある意味橋下市長の逆宣伝のお陰でしょう。この客は一連のニュースによる一過性の客かもしれないけれど、その一見の客を常連に変えるのは、その公演の努力次第だと思います。凄いチャンスでしょう。

これらの議論をみていると、我々土地家屋調査士などの資格の世界を考えてしまいます。
各種国家資格は、平成15年までは直接的にも間接的にも国に守られてきました。
これは日本の資格制度が、ある意味役所の下請け的な意味を持っているという理由もあったことでしょう。我々は守られていた中で発言をしていたのです。
でも司法制度改革等の規制改革の中で位置づけが変わりました。
専門家というものは、制度があるから残るのではなく、人の役に立てるから残るのです。
昔が懐かしいと嘆いていないで、我々の現代から未来に続く地籍のスペシャリストとしての様々な価値を、その時代時代に対応して磨いて行かないと、やがて日本にとって不要になるのでしょう。
もし我々土地家屋調査士が60年前の代書屋の域を出ないとすれば、伝統技能として役割を終えることが有るかもしれません。
今我々を取りまく環境の変化は、逆風ではなく、大きく変化できるチャンスと考えるべきです。

さて、とりあえず10月17日の文楽仙台公演でも見に行こうかな。
どれどれ、夜の部でも平日の18:30開演か。
好きならどうにでも調整して行く時刻かも知れませんが、一般的な社会人は無理しないと間に合わない時間帯ですね。これは。
「見てみようかな」程度の気持ちなら止める時刻かも知れません。私の好きなクラシックのコンサートなどもこんな開演時刻が多いのですが、他国ではもうすこし遅い時刻から始まります。
本当に素晴らしいのなら、こんな部分からでも、新しい客に見に来てもらう努力が必要だと思いますけどね。




2012年8月18日土曜日

オリンピックを振り返り

私はスポーツが大好きです。
会長になってから極端に時間が無くなって、自分でスポーツをする時間が少なくなりましたが、見ることも大好きです。4年に一度のオリンピックは当然見ました。
オリンピックの最中は毎晩寝不足で、各スポーツについてブログに書きたかったのだけれども、とてもその余裕が無かったのです。ちょっと落ち着いて少し振り返ってみます。

今回は史上最多メダル38個を取ったとのこと。それはとても素晴らしいことです。
しかしずっとメダルの数ばかりの報道に、とても違和感を感じていました。
日本のマスコミは一様にメダルの数を言いたがります。
ちなみにマスコミは選手に取ったメダルを齧るようなポーズを一様に要求します。私はあのメダルを品の無いポーズも嫌いです。

さてマスコミが望むようにメダルを取る為には、目の前の試合だけですべてを消耗する訳にはなりません。一試合でも「前半を押さえて後半でこう行く」と考えるように、全試合を通じてコンディションを考えたり、主力を温存したりすることはあり得るはずです。
決勝までが勝負だと考えれば、ひとつの試合は1ピリオドに過ぎません。

皆さんもご存じのことと思います。五輪女子サッカーなでしこジャパンの佐々木則夫監督は、1次リーグF組の南アフリカ戦で引き分け狙いをしたと会見で話をしました。
「準々決勝の相手はどこでもいい。ただ、1位ならグラスゴーへの移動、2位ならここカーディフに残って試合ができる。コンディションを考え、後半の途中に引き分けを選んだ」これは決勝トーナメントで有利に進むための戦術の一つです。

この発言を日本のたくさんのマスコミが叩きました。
スポーツの美しさを単純に賛美したいならメダル、メダルと言わなければ良いのです。おそらくスポーツをしたことのないスポーツライターが、その場その場で何も考えずに書いているのかも知れません。
無気力試合とは意味が違います。負ける試合ではなく、狙って引き分けは難しいものです。これはこれで必死の戦術と技術です。

メディアと商売がスポーツをある意味メジャーにし、ある意味ダメにしています。
タレントが出てきてビジュアルの良い選手を特別にもてはやしたり、家族との絆を特別に取り上げる風潮は困ったものだと思います。硬派に本当のスポーツの楽しさを伝える努力をするだけでも視聴率は取れるはずだと思っています。

勝つ負ける以外にもスポーツ観戦はどの部分を切り取っても楽しみはあるものです。ましてやオリンピックです。世界中の素晴らしい選手が集まっています。どんなマイナー競技でもとても楽しめます。
決勝でも予選でも、スポーツはとても美しく、感動するものです。

私は、負けそうなら試合途中でも帰るという傲慢なプロ野球球団のファンとは違います。
スポーツ以外も含めて、何か頑張っている姿を見るだけで感激するのです。

さて、Jリーグに集中するか。





2012年8月16日木曜日

終戦の日に日本の復元力を考える

8月15日は終戦の日でありました。
毎年各メディアでは戦中戦後の話題を取り上げます。

戦後の日本は驚異的な復興をしたと評価されています。
敗戦後の焼け跡から短期間で経済大国への復興です。
世界史でも希有な存在とされています。

そして今回の東日本大震災からの復興も戦後の復興になぞらえて話をする人がいます。
確かに、昨年の大震災で夥しい人が亡くなり、国土の形がすっかり変わってしまいました。そして世界はまた短期間で日本が復興すると考えています。

しかし、どうでしょうか。
昔の「戦後」と今の「震災後」で、日本人の価値観が変わったと言われます。
そうかも知れません。
そうでないかも知れません。

当時は日本中が敗戦の当事者でした。ですから日本全員が、日本の復興と未来に向かって一丸となって頑張ることができたのです。

戦後良くも悪くもアメリカナイズされ、日本人は個人主義になりました。
あらゆることは全部他人事と考える人が増えました。
自分に降り掛からなければ関係ない、自分に降り掛かってくると異常に騒ぎ立てる、そんな日本人が増えました。

今回の震災は、どうも日本中の問題では無さそうです。
これは日本人の気質の変化だけでなく、政治とメディアにも責任もあると考えています。
政治は責任ある決断をせずに、各種メディアは震災後一年に「絆」と言って全国の支援の強迫観念を煽り、二年目になるとあまり関心も示しません。

いつも書いていますが、私が東北の人間だからこんなことを書いているのではありません。東北はいつまでもメソメソ泣いている訳ではありません。何かを送ってくださいと言っている訳でもありません。
東日本大震災の被災地復興に十年も二十年もかかっていたら、次の首都直下型などの大震災が起こったときに日本は対応できません。

ですからこれは日本全体の問題なのです。

たまたま東北の、たまたま沿岸に起きた震災が、場所と時間がちょっと違っただけで、私たちは別の運命を迎えたかも知れません。最近私は生きている者の責任を感じます。
これは戦後と同じです。当時も偶然に戦死した人、生き残った人がいました。

生きている者の責任、もしかしたら生かされている者の責任として、戦後のように我慢するところは我慢して、各々が少しずつで良いからできることをして、「日本の復元力」を見せましょう。



2012年8月13日月曜日

2回目のお盆

夏休み、花火、スイカ、おばあちゃん。

子どもの頃は、お盆という言葉には楽しい連想しか湧きませんでした。
お墓参りということさえ、非日常のイベントであり、少し嬉しいニュアンスもありました。

お盆です。
東北では震災後2回目のお盆です。

被災地では、昨年が新盆に当たるご家庭もたくさんあったでしょう。
また反面、昨年の8月の段階では、家族がまだまだ行方不明のままで、死亡を認められない方々もありました。
未だに行方不明の方もいます。

お盆は、お亡くなりになった方々が、家族の元にお還りになる日です。
そこは仮設住宅かも知れません。

そしてお盆は、生き残った家族が少し不安定になる時かも知れません。


何を考えても、つい昨年のとても重い過去に引き戻されそうになり、現実を見つめても、まったく進まない復興の中で、前を向いて歩くと言うことは、とても難しいことです。誰でもできることではありません。


健全に生きていられる我々は、自分の祖先とともに、被災者全員のためにお祈りをしましょう。
そして、被災地の生き残った人達に声を掛けましょう。

「絆」という言葉が昨年だけの流行語ではないと、安心してもらうためにも。




2012年8月10日金曜日

法改正時の条文の理解の仕方

明日は宮城県土地家屋調査士会の研修会です。
他の土地家屋調査士会は土曜日開催が多いのですが、宮城会は伝統的に平日に研修会を開催しておりました。
明日は土曜日開催ですので、お間違いないようにお願い致します。
実際に、週休2日になって久しいのに、5日間しか無い平日を研修会に当てると、会員の皆さんも計画日程を組む際に大変難しいと思いましたので、今回は土曜日開催を計画しました。

明日の研修会は下記の2本立てです。
第1部は「最近の不動産登記法等の改正について」
第2部は「懲戒事例に学ぶ」

第2部のメイン研修の「懲戒事例に学ぶ」ですが、講師は岩手会の菅原会長に講師をお願いしています。
懲戒事例はあまり表に出にくいので、理解しにくい分野かも知れません。
何をすればどんな懲戒になるのかの実例を学びながら、日常業務で何に注意を払い、何をしなければならないかを再確認したいと思います。
明日はこの分野を良く勉強なさっている菅原会長から、具体的な事例が解説されますのでご期待ください。

さて第1部の法改正について少しコメントさせてください。
近年の不動産登記法改正について、会員の中で細かいことについて、結構誤解があるように見えます。
おそらく実務上迷ったところだけを、その度に調べようとしているからかも知れません。

法改正には改正するための理由があるはずです。
その背景や大元の部分を理解すれば、法全体を把握するのが簡単で間違いがありません。
何故その改正が必要だったのか。その趣旨で改正するとすれば全体構成はどうあるべきなのか。
枝葉の条文だけをその度に調べているのでは、いつまでも理解できないと思います。

たとえば登記申請は、現在オンラインで申請することが原則になりました。
紙による申請は、あくまでも例外として認められています。
ですから、法改正前の紙による申請が原則の頃とは、同じ紙申請をしているようで、当然取り扱いが変わっている訳です。ここを理解していれば、各々の条文は理解できるはずです。
残念ながら、今も紙による申請を続けている会員には、その変化が理解できない人がいるようです。

オンラインで申請情報を送信するのですから、申請書副本はあり得ないのです。ですから従来の登記済証は別の形になった訳です。また固定資産税通知用の副本もあり得ないのです。
添付情報もオンラインで送ってしまうことが原則ですから、原本還付は例外扱いになります。
そのような流れで細かい条文が作られています。

オンライン申請は電子政府の流れから当然の方向です。これは国全体の方向で、法務省の登記制度だけの問題ではないのです。ですから表示に関する登記がオンライン登記に馴染まないと言っても、オンライン化は国の責務ですから、止めることは無いのです。

表示登記の世界で完全オンライン申請を制度的に完成させるには、どうしても添付情報を電子化する必要があります。その考えで「調査報告書」があるはずです。
それがまだ不完全なのは、残念ながら発生した過去の登記事故がトラウマになっているのかも知れません。土地家屋調査士だけが認められた調査報告書を、我々が磨き上げることにより完全オンラインの世界が開くことができる筈です。

新たな筆界特定制度は、有る意味登記所の生き残りをかけて導入されたと考えた方が制度上分かりやすいかもしれません。これは別の日にコメントしましょう。

また、登記特別会計が終わったことによって、会計上は登記の電子化はすべて終わったことになっています。その前提で考えると各種手続きの齟齬が理解できるかも知れません。

明日は近年の改正の中で、このような特に会員に誤解がありそうな部分を取り上げて解説する研修企画をしていますので、ご期待ください。




2012年8月8日水曜日

紳士なノート Premium C.D.NOTEBOOK



「紳士なノート」です。
何と言っても「紳士なノート」です。
これは私が買わずに誰が買うのでしょうか。

私のような万年筆好きの紳士は、実は書く用紙が限定されます。
インクが滲む。裏映りする等では困るのです。
最悪は紙質が悪くて、ペン先が引っ掛かる感じがするものですね。
なんのための万年筆か分からなくなります。




万年筆のための紙は、
万年筆のぬらぬらな書き心地を絶対に損ねないこと。
万年筆のインクが滲まないこと。
裏映りは最小であること。
等々ですね。
このノートは条件をクリアしていますね。

さて、この挑戦的なネーミングの「紳士なノート」ですが、アピカ株式会社のCDノートブック(いわゆる大学ノート)のプレミアという位置づけです。
アピカは、王子製紙グループの会社ですから、他文具メーカー以上に紙にこだわらなければならないのです。
確かに、このノートの用紙は、私好みのすべすべの肌をしています。インクの載りも良さそうです。
ちなみに私は紙フェチです。

紳士なノートは、柔らかな表紙と180度開く縫製でできています。
これも理にかなっています。万年筆は、外出時立ったままで書くことは想定されませんので、むしろ机に開いて落ち着くタイプの柔らかな表紙の方が良いでしょう。
もちろん世界に誇るパイロットのキャップレス万年筆と、モレスキンのような堅い表紙のノートの組み合わせなら、立ったまま筆記も可能ですが、私のような紳士はそんな使い方はしないのです。

それで、このノートに何を書くかって?
私、良い紙のノートは汚すのが勿体なくて、結構真っ白のまま持っているんですよね。

意味ないって?
良いんです。
私の文具は、手段でなくて目的なんですから。





2012年8月6日月曜日

67回目の原爆の日を迎えて

昭和20年8月6日午前8時15分連合軍が広島に原子爆弾を投下しました。
本日はその原子爆弾が投下されて67年目の日です。当時の広島の人口の半数弱がこの原爆で亡くなりました。
毎年8月6日を「原爆の日」と定め、毎年平和を祈る式典が催されています。
今朝も、第67回広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式が執り行われました。

海外からも参列も含め、多数の出席者が広島に集まりました。野田首相も参列し、当時の合衆国大統領トルーマンの孫も参列し、71カ国の代表が参列したようです。

私自身、広島の歴史も当然知っていますし、広島の原爆ドームにも行ってます。平和記念資料館でかなりのショックを受けた記憶もあります。そして毎年この式典を見ていて、世界平和を念じていました。
それに嘘はありません。
しかし、自分の中でどこか遠く、それが他国とは思いませんが、遠い歴史の世界と同化していたかも知れません。

阪神・淡路大震災でも、とても気の毒だと思いましたが、被災地に行ったのが大震災から3年経ってからでした。やはり理解はできても、現実感では無かったようです。

私だけでは無いようです。どうも日本人は、こういったことに、どこか他人事なのです。
私自身、東日本大震災を被災地で経験して、はじめて現実感を持って、阪神・淡路大震災が再確認できた気がしますし、原爆の放射能が再確認できた気がします。

私はやっと現実感を持って発言ができるようになりました。また発言することは、実感を持った人間の義務だと考えています。

今年もたくさんの国が参加してくださいましたが、その国々は相変わらず原爆を持っていますし、紛争も抱えています。この毎年の平和の式典も、参加者でさえ形骸化しているかも知れません。

私も、これまでは「原子力爆弾と原子力発電はまったく違うもの」と考えておりました。
「発電は平和利用なのだから兵器とは違う」と考えておりました。
しかし3.11以降、「戦争に使うことはもっての外で、これは平和利用だから・・・」という言い訳はできないものだと、理解しています。

原子力は、人類の能力ではまだ制御できない「火」なのです。
今回は、想定外な不幸な事故ではありません。そもそも「想定外ということが起こったと言うことは能力の範囲外であるということ」です。
原子力は、「使うor使わない」ではなく、「使えない」のです。

世界で唯一の被爆国、そして今回原子力発電で世界でも希有な被爆体験をした国である日本こそが、心から「原子力廃絶」を世界に訴えることができる唯一の国の筈です。

原発が止まって若干経済活動が鈍ることは覚悟しましょう。
それでも、衣食住が無くなるほどの貧乏にはなりません。
しかも、すぐに戻るはずです。
日本人はあらゆることで贅肉を付けすぎていました。
社会も経済も、日本人の精神も、ちょうど良いダイエットになると思います。

広島の平和記念資料館の後に、現在の福島や宮城岩手の被災地に来てください。
本当の幸せは何か、身に染みて再発見できると思います。



2012年8月3日金曜日

呉竹 ブラッシュハイライト

このブログでは、過去に様々な蛍光マーカーを紹介してきました。

例えば

定番ゼブラのOPTEX CARE.
現場では一押しのノック式マーカー
マーカーインクを消すことのできるフリクションマーカー
発色が優しいマイルドマーカー
究極はペリカンM205 DUOとハイライターインク

まあ自分で思っているよりも、私はマーカーを使っているのかも知れません。

最近見つけて気に入っているのがこれ。
あの筆ペンの呉竹が作ったマーカー「ブラッシュハイライト BRUSH HILITE」です。


そうそう、こういうの欲しかったんですよ。

先が堅い筆の形状をしているので、細い線や太い線が自由に引けるのです。
マーカーとしては、OPTEX CAREのように細いペンと太いペンが両端についているものは以前から存在しましたが、このペンは、筆の形状のお陰で細い線から太い線まで連続して引けます。
これは結構使えます。
持ち替えずに細い線と太い線が引けるだけで無く、太さを変えたマークをすることで、よりマークを際立たせることができます。

また今までは、マーカーで文字を書く気がしなかったのですが、これならマークの隣に文字入れる際にも書きやすいですね。
インクの色も5色有り、発色も悪くありません。
これ、お勧めです。




鈴木は、そんなにたくさんのマーカーを持っているのだから、自分や他人の仕事をバリバリチェックしたり、読書の際に重要箇所を色分けしまくっているのかって?

いえいえ、私は、そんなに「まめな」性格ではありません。
なにせB型ですから。

普段ハイライターインクを入れたペリカンM205 DUOを持ち歩いているのも、「どう、良いでしょ」って言いたいだけなんですから。



2012年8月2日木曜日

被災地からの発信 仮申込みのお願い

平成24年12月15日に仙台で開催される被災三会合同報告会(仮称)「被災地からの発信」については、本ブログでも、以下2回に分けて紹介させて戴きました。

6月21日「12月15日(仮称)震災報告会について」
6月22日「(仮称)震災報告会のお問い合わせについて」

被災地では全国に大変お世話になったので、私たちの知りうることで、今後全国の皆さんのお役に立ちそうなことをまとめて発表して、御礼に代えたいと思っています。

また本ブログでも紹介していますが、被災地を実際に土地家屋調査士の眼で見て欲しいのです。
写真で分からないことがあります。

7月30日の動画「女川町被災調査 がれき動画」
7月31日の動画「女川町被災調査 仮設住宅動画」をご覧に入れましたが、写真より動画が分かりやすかったと思います。

でも実際に現地を見て戴ければ、もっと違ったご理解になるでしょう。

昨年の3月11日に実際に何が起こったのか。
そのときに、被災地の人間は、個人として、組織として何を考え、どう動いたのか。
本当はこう考えて、こうしておけば、ということは何か有るのか。
個人として組織として、今やっておくべきところは何か。

専門家としては、
土地が5メートル以上水平移動して、地図や登記がどうなったのか。
建物の滅失判定とは平常とどう違うのか。
これから懸念される問題は何なのか。

いろいろお伝えしたいのです。

また前後の14日と16日に宮城や岩手の被災地を見ていただくツアーを予定しています。

これらのご案内を各単位会を通じてお知らせしておりますので、ご覧になったと思います。
今、仮の受付をしております。

後で気が変わっても結構です。
本申込みは後日お願いします。
少しでも行ってみようかなとお考えの方、是非仮申込みをお願い致します。

参加人数を増やそうという意味ではなく、宿の手配やツアーのバスの確保、懇親会会場など、大まかな人数が無いと計画がとても難しいのです。
特に12月の仙台は早めに動かないと宿の確保が心配です。

そういう意味で仮の申込みをお願いしています。
個人参加でも、グループや支部でも、単位会組織でも結構です。

お問い合わせは岩手会事務局、宮城会事務局、もちろん私個人宛でも結構です。
よろしくお願いいたします。





2012年8月1日水曜日

女川町被災調査 分別された神様達

また先週末7月29日女川町の被災調査に行った際の写真からです。

先日お知らせしたとおり、現地は何も変わっていません。
がれきが大まかに分別され、その積み方が変わった程度です。
以下もその写真です。

ここに見える範囲でも十数世帯の宅地が有った部分です。
住宅地だったと紹介しないと、あたかも山奥の産廃処理場にしか見えないかも知れませんね。




調査のために歩いていると、分別された一角に何か集められているようです。



近づいてみたら神様達でした。


がれきの分別作業の皆さんが、瓦礫の中から発見して、さすがに燃やすがれきと一緒にはできず、他のがれきとは別に「分別」されたのでしょう。

この神様達は、お祀りしていた家族の家を守ることができなかったようですが、家族の命は守ることができたのでしょうか。

神様自らが海水に浸かり、泥にまみれ、きっと地域の方々を守ってくださったに違いありません。
神様達の笑顔を見てそう思いました。



合掌しました。