2012年4月7日土曜日

マーガレット・サッチャー The Iron Lady


映画「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」を観ました。

主人公のサッチャーは、新自由主義を貫き、暴徒化した労働争議、IRAによる爆破テロ、そしてフォークランド紛争などに、ブレなく対応したイギリスの首相です。
落ち込んでいくイギリス経済を救い、強いイギリスを再生したとも評価され、格差社会を作ったとか、国際的解決に武力を使ったと批判され、政治信条や政治手法に賛否両論は有るでしょうけれど、彼女が20世紀を代表する政治家であることには、議論はないでしょう。

当時男性社会であった政治の世界をめざし、強い信念のもとイギリスのトップになり、国内外の様々な問題に対処し、その後政界を退いて、引退後認知症になった彼女の半生と、その間の彼女の結婚と家族との関係を、この映画は描いています。

認知症になった彼女が、ミルクを買いに行って誰にも気付かれず、死んでいる夫と会話しながら食事をしているシーンから始まります。その認知症の中に彼女の半生の回想シーンが浮かぶのです。
この映画は、鉄の女のサッチャーのイメージを、偉人伝ではなく実は普通の人間として、彼女を支え続けた夫との愛をとおして女として描きたかったものと思います。

映画のパンフレットにもこう書いてあります。
「きっと、あなたも好きになる。世界から恐れられた彼女を。」

世の中の評判は、良い映画というものらしいです。
観て感動したという評判も、たくさんあります。
アカデミー賞でも、主演女優賞(メリル・ストリープ)と、メイクアップ賞を、併せて受賞しています。

でも私は、この映画を観て、どうも暗い気持ちになりました。
監督フィリダ・ロイドの気持ちは分かりますが、サッチャーの弱い女の部分を描きたかったからと言って、認知症をそこまで引っ張らなくても良かったと思うのです。
現在認知症の彼女が過去を回想するにも、夫との切ないやり取りではなく、切なさは有るけれど、やりきった人間としての幸せを描くこともできたはずです。
誰にも100%の人生は有りません。その正の部分と負の部分の折り合いは、本当は本人しか評価できません。
でも、その人生を勝手に考えるのが、映画制作側であり、観客です。
しかし、この映画の描き方では、彼女の人生が後悔しなければならない人生になります。あそこまでやりきった人生については、政治信条が違っていても、もう少しリスペクトする描き方でも良いと思うのです。

彼女の首相時代は、冒頭に書いた様々な政治問題が有りました。この映画でその部分は、ほとんどインデックス程度に描かれています。サッチャーをどう描く立場でも、この部分はもっと時間をかけて掘り下げても良かったと思うのです。この映画は、1時間45分と比較的短いものですから、時間的余裕は有るはずです。
政治家としてのその部分をしっかり描くことにより、監督の意図も、もう少し明確になるでしょうし、私の気持ちも、もう少し満足するかもしれません。

もちろんサッチャーをそっくりに、そして見事に演じたメリル・ストリープは素晴らしかったです。
世間は評価しているのですから、このブログに左右されず、観てください。
ただ私は、もう少し違う映画を観たかっただけです。

しかし、この映画を観て、どんなに世間に批判されようとも、イギリス国民のためだと信じる政策に、信念を貫き闘い続けたこのリーダーの姿勢には、改めて心から尊敬をしました。

彼女のフォークランド紛争での言葉です。
「人命に代えてでも我が英国領土を守らなければならない。なぜなら、国際法が力の行使に打ち勝たなければならないからだ。」

目先の選挙の票のために、自分の政策をコロコロ変えるような政治家ばかりいる国の不幸を感じます。